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滋賀のくすりの歴史

 

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蒲生野遊猟の図■ 滋賀のくすりの歴史

日本の真ん中、琵琶湖のある近江、滋賀のくすりの歴史は遙か古代にさかのぼります。古代飛鳥の時代、淡海の蒲生野東近江市船岡山にたつ一つの石碑。これは滋賀県における最古の薬に関する記録だといわれています。

「あかねさす紫野ゆきしめ野ゆき 野守は見ずや君が袖ふる」

額田王が大海人皇子に送った有名な万葉集の一節です。668年、この蒲生野で行われていた 「くすりがり」 の時、詠まれたものといわれています。

滋賀県は、昔から様々な種類の薬草が豊富で、薬草栽培に適した風土、自然環境に恵まれていました。滋賀の最高峰の伊吹山は薬草の産地として有名です。織田信長公は植物の種類が豊富であった伊吹山に目をつけ、薬草園を開き、ポルトガルの宣教師に命じて薬草栽培を始めました。そして、ヨモギを使った滋賀県の特産品、伊吹モグサなど、様々な薬草の山として名声を高めていったのです。

■ 忍者の常備薬として創り使われました。

万川集海甲賀市 (旧甲賀郡) には甲賀流忍術が伝わっていました。忍術の極意書、 「万川集海」 (ばんせんしゅうかい) の文面には忍者たちが薬草を育て、独自で加工し様々な生薬を生み出していたことが記されています。

そして、飯道寺山や、日野の綿向山等の山伏や修験者がお札を売り加持祈祷するとともに全国にくすりを広め、忍びと云われる者は町人や商人になり諸国を渡り歩きながら、独自で開発した常備薬や護身薬をつくり旅先での生計を得るため売って歩いたと云われています。

特に甲南町の竜法師にある忍術屋敷で有名な望月本実家は伊勢の朝熊明法院の祈祷札を持って全国に朝熊信仰を広めた際、 「朝熊の万金丹」 などのくすりを配布した記録があり資料が残されています。こうして竜法師、磯尾等の山伏が全国の情報を収集し、くすり創りにもたけ、火薬も取り扱う者 (当時のハイテク集団) が後世には 「忍者」 と呼ばれたものと云われています。

■ 「万川集海」 の忍者の薬

甲賀町田堵野大原家には忍術の伝書 「万川集海」 二十二巻が伝えられています。 この中には忍薬として飢渇丸・水渇丸のほか、敵をねむらせる薬、ねむ気をさます薬、敵を痴呆状態におとし入れる薬などが掲げられています。また、さまざまの救急薬も工夫されています。